マニタスから離れたホセがJose Reyes y Los Reyes結成。ジプシーキングスのルーツとなる

1963年の世界デビュー以来、マニタスは精力的にアルバムを発表していきました。
それらのすべてのアルバムにホセは参加していましたが、1974年になって、ホセはマニタスをゲストに迎え、自分の息子達、ポール(Paul)、カヌー(Canut)、パチャイ(Patchai)、ニコラ(Nicolas)を従え、初のリーダー・アルバム、Jose Reyes e Los Reyes 「Sombre de Noche」 を発表しました。

それが契機になったのでしょうか。1975年のマニタスのアルバム 「Libres Como el Viento」 を最後に、ホセはマニタスと袂を分かつことになりました。
これまでにマニタスとホセの残したアルバムは、世界デビュー以来、ゆうに20枚を超えています。一説には、マニタスが次第に、自分の兄弟や息子や甥達を重用し始めたために、ホセが離れたとも言われています。

独立したホセは、上述の息子達と娘婿のチコ(Chico)を加えてJose Reyes e Los Reyes を正式に立ち上げ、1977年に 「Gitan Poete」 を発表しました。
マニタスの音とは違って、よりポップ色の強い音楽路線を進むことになります。

これが現在のジプシー・キングスのルーツとなりました。

ホセは、続いて1978年にもアルバム 「L'amour d'un jour」 を発表しましたが、1979年に肺がんのため、この世を去ることとなりました。享年51歳。

世界へと伝わるマニタスのギター演奏

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ギターの名手、マニタス・デ・プラタと歌の名手ホセ・レイエスの出会い

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サントマリー・ド・ラ・メールで新たな出会いを

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