世界へと伝わるマニタスのギター演奏

徐々に有名になったマニタス。
本人が望んだわけではなかったのですが、ついに世界へ羽ばたく時が来ました。
ここではあれこれ説明を加えるより、日本盤CD「ジプシー・フラメンコ」のライナー・ノーツをそのまま引用したほうがよいでしょう*6)。米国のプロデューサー、E・アラン・シルバーの文章です。(一部要約)

「私が初めてマニタス・デ・プラタの名前を聞いたのは1955年のことだった。同業者のマルク・オーボールが南フランスのバカンスから帰って来た。彼はレ・サントマリー・ド・ラ・メールのジプシー・フェスティバルに行って、分解しそうな古テープレコーダーで1部を録音してきた。その中で若いギタリスト、マニタス・デ・プラタに完全に魅了され、レコード録音の許可を求めたという。しかし手紙を出しても返事は来ず、アーティストと連絡がとれないので企画は断念された。
61年の秋、「タイム」誌に、マニタスがリビエラで大反響を巻き起こしているが、頑なに録音を拒否しているという記事が載った。その1週間後に私は偶然ニューヨーク近代美術館に、フランスの写真家リュシアン・クレルグの展覧会を見に行き、ジプシーや闘牛の素晴らしい写真を見た。そこでクレルグをつかまえ、写真を買いたいといい、マニタスを知っているかと尋ねた。彼はマニタスの非常に近しい友人だった。あの男の芸術を広く知らせるのは大変重要なことだと思っていたので、コニサー・ソサエティへの録音のためにマニタスにコンタクトしてくれることになった。最後には、マニタスはようやく了承してくれた。
私達はマニタスが冬の間に住んでいるアルルに着いた。ホテルの隣にある、中世の礼拝堂が録音に使えることになった。そこの音響条件は望む限り完璧なものだった。ジプシー達や何人かの友達を招いていたので、クレルグの奥さんがサンドイッチと、サングリアの巨大な桶を用意してくれた。興味深いことに、演奏するジプシー達は、セッションが終わるまで大好きなドリンクに一滴も口をつけないのだった。マニタスがまだ私達に聴かせたいものが残っているというので、次の晩も録音することにした・・・」

この1963年の一連の録音は、すぐに米国で発売されて大反響を呼びました。
幸運なことに、これらのレコードが、その年の米誌ハイファイ・ステレオ・レヴュー誌の「おそらく、かつて作られた最もリアルなギター録音」という絶賛を引き出すところとなりました。
結果、マニタスの世界デビューの大きな引き金となったのです。後年のジプシー・キングスの世界デビューと同じく、アメリカが彼らのよき理解者であったと言えます。
日本でも同様に、その音楽性より、むしろ各種のレコードやオーディオ雑誌に優秀録音として紹介されました。

この種のジプシー音楽の知識もなく、たまたまCD「Juerga!」 *7)を持っていた、という音楽ファンも当時多かったのではないでしょうか。

Manitas de Plata Juerga

後に分かったことですが、彼のこの時の録音は、日本でオーディオファンの装置の診断用30 cm LP、45 rpm として発売されています*8)。ダイナミック・レンジのチェックや針飛びの調整に使われたというわけです。まさにそれほどの優れた録音でした。
そしてついに1968年、マニタスはその飛行機嫌いをおして、ホセと長男マネロ (Manero Baliardo のちにManero de Plataと呼ばれる)を引き連れ、アメリカ・ツアーを行なうこととなります。
その時の音源は「At Carnegie Hall」*9)として残っています。つまり、世界中に知られるギタリストになったのです。

Manitas de Plata At Carnegie Hall

  • *6)King Record KICP 315
  • *7)Connoisseur Society CD 4126
  • *8)「Flamenco Fantasy」 Nippon Philips 45S-18
  • *9)Omega OVC 8086

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