2005年06月26日
アルルとサント・マリー・ド・ラ・メールへの旅(その11)
ようやく演奏が終わったようでメンバー達が引き上げてきた。
しかし彼らは全く疲れたそぶりを見せずに、何事もなかったかのように椅子に腰掛けて、全然関係ないおしゃべりを始めたりした。
なんなんだ、このクールさは。かっこいい・・・。
Julioが言うには演奏はまだまだ続くらしい。
休憩の間、AntonieとJr.を相手にしてギターで遊んでいたが、それを見たJulioが「次はLuisも出るんだ」と言ってきた。
「おー、実は待ってたよその言葉!」とフランス語風に日本語で言って立ち上がった。
突然の出番到来。がんばるぞー!
先ほどの客達はまだ同じ部屋にいて、わいわい騒いでいた。
そこで今度は5人でライブ開始!
「お、何だあの怪しい東洋人は?」という訝しい目で見る人は誰もいなかった。
むしろこの珍妙なる異邦人を暖かく迎え入れてくれた気がした。
Julioが「日本のジプシー、タダーキ!」と紹介してくれた。「Luis」と言わず本名で紹介してくれたところが照れくさい。
自分もすぐに演奏の流れをつかみ、Gitano Familyのスタイルを吸収していった。
パーティー会場のすぐ横に気持ちの良いテラスがあり、徐々に人々は外に出て行った。
やがてGitano Familyに導かれるように、中にいた客達がみんな外へ移動してきた。
熱気に満ちた屋内より、涼しい野外が何倍も気持ちいい。
さあ、ここでも司会兼エンターティナーはJulio。
なにやら号令をかけて、客達もそれに習って叫んでいる。もはや「演奏者」と「客」という垣根は吹き飛び、一つのFamilyが形成されているかのようだった。
心地よい空気に酔いしれる客達にシャンパンが配られる。
メンバーにも配られ、Julioが何やら叫んで、日本語で「カンパーイ」と音頭をとった。客達もそれに続いて「カンパーイ」「チンチーン」だのなんだの言う。面白くなってきた。
その後はほぼ休むことなく演奏をぶっ続けで繰り広げた。
彼らのレパートリーは無限のように感じる。ほとんど同じ曲はやらず、別の曲を奏で続ける。
時間の感覚がなかったが、20分くらいぶっ通しでギターを弾いていたと思う。しかも生演奏なので自然と腕に力が入って、かなりクタクタになる。それでも他の3人は手や声を休めることなく力いっぱい演奏する。
これが本場のすごさだと思った。
それから、フラメンコでもそうだがジプシールンバのカギを握るのは「歌」だ。
ギターはそこそこ弾ければ問題ない、重要なのは歌がいろいろ歌えるかどうかということだ。
これはサントマリーにいた時にも感じた。
ジプシーキングスの曲、Jose Reyesが歌った歌、スペインから伝わったファンダンゴ(民謡)、カタルーニャ地方の流行歌など、何でもかんでもルンバにして歌ってしまえばこっちのものだ。フランス人はスペイン語が分かると言うわけではないので、多少の発音の違いなど全く問題ではない。
前回にも書いたが、ネタとして突然ブルージーな音楽を演奏したりするが、これもテンポを速めて弾けば立派なジプシールンバに早代わり。要はどんな曲でもルンバで弾いてしまったもの勝ちである。
そこへ突然「Luis、日本の歌を歌え」とJulioに振られた。
いきなり言われても困ると思ったが、とりあえずGipsy Grooveのオリジナルである「Ole y Ola」などを歌ったら大いに盛り上がった。こういう曲は単純に楽しいので客もノリやすい。今後もこの手の曲を多く作っていこうと思った。
曲の途中でまた別の曲に変わり、フィエスタは続いていく。様々なネタをちりばめて、客を飽きさせない。
いちゃついているカップルがいたら近寄って甘いバラードを奏でたりする。
で、Jr.が練習の成果を見せるべくギターソロを弾こうとすると父親のJulioが客に向かって「シーーッ!静かに!」と命令する。
すると指揮者に従うオーケストラのように客は一気に静まり返り、Jr.の弾くギターに注目してくれる。
これでは音響機材もいらないなと思った。
また、「ターゲットは濃いキャラの客大作戦」は頻繁に実行された。
カンツォーネの名曲「オ・ソーレ・ミーオ」をJulioがオペラ風に歌い、それをネタをふったら面白そうな客に歌わせる。
始めにJulioが歌って、それに続いて客が歌うのだが、一番高い音程の部分がどうしても出せず変な声になってしまう。
それを聞いて周りはまたもや大爆笑。
こんな感じで延々とフィエスタは続けられた。
それにしてもいつまで続くんだろう?と思い、時計を見るとなんと夜中の12時を回っている!!
休憩を挟んだとはいえ、演奏は7時ごろから始まったので、実に5時間近くもこんなことやってるんだ、と感心してしまった。
そろそろ眠くなってきたのに引き上げる客はほとんどいない、むしろ余計に盛り上がっていく一方だ。
でも、まさに名実ともに「女房役」であるMarjoryがJulioにささやく様に語りかけ、それにうなずくJulio。
そろそろ潮時ということだろう。
その後数曲演奏したあと、Julioが大声で客全員に聞こえるように何か言うと、客は一斉に拍手して歓声が沸いた。
それで最後にメンバー紹介が行われた。自分もメンバーに加えてくれたことが大変うれしかった。
終わった時、もう1時半を過ぎていた。
日本では全くありえない話だ。
メンバー達はフィエスタの場から離れると、またしても全く疲れたそぶりを見せずに車へ向かった。タフすぎる。
そして、何事もなかったかのように車に乗り込み、おしゃべりしながらJulioがハンドルを握る。さっきシャンパンたくさん飲んでただろう?!とツッコミを入れたくなったが、眠くてどうしようもなかった。
車でどこに行くのかと言うとアルルから40kmほど離れた大都市アビニョン。
このホリデーリゾートがある場所からも同じくらいの距離らしい。
実は先日アビニョン→パリの空港行きのTGVチケットを購入してあり、出発がフィエスタの翌朝なのでJulioが終わったら車でアビニョンまで車で送ってくれるという約束をしていたのだ。
実際その約束は遂行されたが、まさかメンバーみんなで行くことになろうとは思ってなかった。
みんな疲れていて悪いな・・・と思ったがそうでもないようだ。
車中、弾丸のようにしゃべり続けるMarjory。それに応じてJulioがマシンガンのようにしゃべり返す。はたから聞いていると夫婦喧嘩しているようにも思えるが、たまに笑いが起きたりするので、何か楽しいことでもしゃべっているのだろう。それにしても元気だな・・・。
アルコール入りのハンドルさばきで激走すること1時間弱。
どこをどう走っているのか分からなかったが、気がつくとアビニョンの駅前に来ていた。
夜中の2時過ぎ。辺りは真っ暗で人の気配がしない。
アビニョンのTGV駅は町の中心にある他の国鉄の駅から少し離れた場所にあり、余計に静まり返っているようだった。
ここで少し不安になったのが、果たして駅に入って夜が明けるまで待つことができるのだろうか?ということだ。
Julioも他のみんなもそれを見越してわざわざ夜中に駅まで送ってくれたのだが、駅の静けさを感じて、急に不安になった。
車を降り、JulioとAntonieが付き添って駅の入り口まで行ってくれるようで、MarjoryとJulio Jr.とはここでお別れとなった。短い間だったがどうもありがとう!また会おう!と言って別れたが、周りの闇の不気味さに脅かされて、どこかぎこちない挨拶になってしまった。
駅の敷地の周りはフェンスで囲まれているのだが、幸いにも入り口の一つが開いていて敷地に進入することができた。
敷地内には広大な駐車場があるのだが、ポツポツと電灯に照らされた車の列を見ても全く人気が感じられなかった。
JulioもAntonieも黒い衣装のままで、傍らにバックパックとギターを担いだ東洋人。この光景はいかにも怪しい。
ふと、犬の吼える声が聞こえた。そしてその声は徐々に近づいてくる。見ると屈強なドーベルマンが2匹もこちらに向かって突進してくるではないか!
「うおー!襲われる!!」
と思った瞬間、奥の方から人間の声が聞こえた。
早口でまくしたてる男女2人。どうやら駅の警備員のようだった。
犬を退かせ、Julioに何か話しかけた。Antonieは恐れおののき後ろの方へ後ずさりしていた。
会話がまったく分からなかったが、どうやら駅の敷地への入り口が普段は閉まっているのに、偶然開いていたので入ってきたということをしきりにJulioが説明しているようだったが、警備員たちは納得いかない様子だった。
なんだか気まずい雰囲気になってきた。
自分は昔ペルーという国である事情によって逮捕されたことがあるが、その時のことを思い出してしまった。
自分ひとりで入ってきたら間違いなく連行され、尋問されたに違いない。
しかしJulioは毅然とした態度で説明を繰り返し、やがて警備員を引き連れて歩き出した。
入り口に戻って実際門が開いていたことを説明すると警備員たちも納得したようで、何とか難を逃れた。
結局駅構内には入れずまた車に戻ってきてしまった。
Marjoryたちと再会。こういうのを「バツが悪い」と言うのだろう。
Julioが言うには一度家に帰って少し寝てからまた来ようとのことだったが、アルルからここまで40kmも離れており、ライブ後の疲れているときにそんなに世話になるのは悪い、と瞬時に判断し、自分としては「そこらへんで野宿するから大丈夫だよ」と言ってしばらく押し問答した。
だが、Julioたちはそれを許さず、結局家に一度帰ることにした。
あとから考えたら、仮にそこらへんで野宿して自分が何か危険な目にでもあったら重大責任であることをファミリーとしてのJulioは気にしていたのだろう。自分としてはとても申し訳ない気持ちで一杯になった。
1時間くらいかけてJulioの自宅に舞い戻ってきた。
見上げると、星がものすごくきれいに見えた。こんなところに住むのも悪くないな、とボーっとした頭で考えていた気がする。
家の中に入りリビングのソファーをベッドとしてあてがわれ、「5時になったら出発するぞ」とJulioに言われ、すぐに寝に入った。
しかしあまりぐっすり眠れずに不意に目が覚めた。
Julioが既に起きていて、「ビューチフル・モーニン!」と皮肉をこめて言ってくれた。
再び車でアビニョンへ。往復80kmを二回。この親切さには頭が下がる思いだ。
うっすらと明るみだしたプロヴァンスの大地。朝もやが景色をソフトに包み込み、なんともいえない美しさだ。
そんな中あれこれJulioと会話しながらアビニョンに向かった。
「2度も往復してくれるのは悪いよ」と言うと「さっきのパーティーでCDがたくさん売れたんだ。足りなかった分をまたあそこに届けに行くからちょうどいい。気にするな。」と言葉を返し、決していやな態度は見せなかった。
遠くのほうに有名なアビニョン橋が見える川を渡ると、再びアビニョン駅に到着した。
さっきは人の姿が見えずに不気味だったアビニョンTGV駅も、この時は門が開くのを待つ人々でごった返していた。
車を降りて、Julioが周りにいた人に話しかける。
その後「ここで待っていれば門が開いて駅に入れる。」と教えてくれた。
お別れのときだ。
ちょっとウルルンと来てしまった。また大事な友人が一人増えた気がした。
しかしまたすぐに会えるだろう。
Julioと硬い握手をして「Adios!」と言い、別れた。
やがて先の犬を連れた警備員がやって来て駅の門が開かれた。そして人々がそれぞれの旅の始め一歩を踏み出す。
自分にとっては旅の最後の一歩だ。
時間通りにやってきたTGVに乗り込み、パリの空港へ。
そのまま日本へカムバック。
今回の旅は長年の目標だったサントマリーの祭りでジプシーたちとギターを弾くことが達成できたし、いろいろ現地のミュージシャンとも交流することができ、1週間と言えどとても有意義な旅だった。
是非来年も行ってみたいと思う。
今度はGipsy Grooveのメンバーも誘って、現地集合で行ってみたい。
サントマリーに行ったら教会の下でバンドのメンバーがギターを弾いているのを見かけた、というような状況が望ましい。
それともパリからレンタカーを借りてファミリーとしてキャラバンで現地を訪れるのもいい。
次回のアルルとサントマリーへの旅がどんなものになるのか早くも楽しみだ。
少なくとも泥棒への警戒心は増幅していることだろう。
おわり
投稿者 gipsygroove : 02:13 | コメント (2) | トラックバック
2005年06月23日
アルルとサント・マリー・ド・ラ・メールへの旅(その10)
5月28日(土)
この日は待ちに待ったGitano Familyとフィエスタに行く日だ。
そして今回の旅行の最終日でもある。
昼ぐらいにホテルまで迎えに来るというので、荷物をまとめて早めにチェックアウトした。
支払いはクレジットカードでやろうと思ったが、カードをうまく読み込めず、現金で支払うことになった。 持ち合わせがなかったので街中にある銀行ATMに行って下ろした。
自分は日本でも使っている新生銀行のキャッシュカードを持っていったのだが、現地のATMでも問題なく対応した。
「PLUS」というマークが記載されているATMならほとんど大丈夫だ。
引き出しはもちろん現地の通貨だが、その時のレートで計算された日本円が差し引かれる。
今回の旅行では現金2万円分だけユーロに替えて持っていったが、あとはクレジットカードかキャッシュカードで対応。
トラベラーズチェックは換金するのに手間がかかると聞いていたので持って行かなかった。
正午まで時間があったので、ホテルの前にあるカフェでゆったりコーヒーでも飲んでくつろいでいた。
フランスのコーヒーはカップが小さく、一気飲みしようと思えばできてしまうので、チビチビやらなくては間が持たない。
そうこうしているうちにJulioの奥さんのMarjoryと息子のJulio Jr.が車で迎えに来てくれた。
ホテルのフロントに置いておいたバックパックとギターを手に持ち、車へ。
「荷物はこれだけか?」とびっくりされ、逆にこっちも心配になってしまった。確かに少ないが荷物はこれだけだ。
車でJulioの自宅に向かっているのだと思うのだが、2人の会話がフランス語で全く理解不能。
英語で年齢を聞かれたので答えると「look so young」と言われた。マジかよ。
確かにJulio Jr.の方が大人びて見える。しかし彼はまだティーネイジャーだ。
しばらくしてJulioの自宅到着。
Julioは何やら庭仕事をしていたが、また快く迎え入れてくれた。
夕方頃出発すると言うことだったので、それまでJulioの自宅でのんびりすることができた。
先日に引き続き、またランチをご馳走になった。どれもこれもうまかった。
Julioの家を建てようとした時、いつも2匹のセミがジージーと鳴いて木に止まっていたらしい。
日本だと「うるさいセミだなー」とか言って追っ払うかもしれないが、Julioは「2匹で楽しげなコンパスを掛け合っていた。」とのことで、この2匹のセミをこの家のトレードマークにすることにしたという。すこぶる風流な話だ。
次男坊のLucasがいなかったのでどうしたのかと聞くと、「今日はミリタリースクールに行っている」とのことだった。
そろそろ学校が終わる時間だったらしく、Julio Jr.が弟を迎えに行くというので一緒に行くことにした。
Julio Jr.君は英語もスペイン語もかなりままならない状況で、車中、会話に苦労した。
フランスでは10年前は1年間の兵役が義務付けられていたが、現在はたった一日だけミリタリースクールに行けばOKらしい。
ということをJulio Jr.から聞いた。
道に迷いつつもやっとスクールに到着してLucasを拾い、再びJulio宅へ。
息子達2人は父親の後についてギタリストの道へ進むことも考えているようで、ギターの練習もがんばっているようだが、普段は子供部屋にこもってパソコンのオンラインゲームに熱中する現代っ子であった。
Lucasのパソコンの中にはいろいろmp3の音源があり、フラメンコやジプシールンバの曲も多く、いろいろ聴かせてもらった。
ジプシーキングスのPatchaiと親しい間柄なので、彼がJulio宅を訪れたときの貴重な映像なども見せてもらったりした。
■Patchai at Julio's House
そうこうしているうちに出発の時間になり、にわかに慌しくなってきた。
JulioもMarjoryもJr.も早くも演奏用の黒い衣装に着替えて、車に乗り込んだ。Lucasはこの日はお留守番。
車は一度アルルの街中へ戻り、とある住宅街へやってきた。
ある家の前に停車し、中から人が出てきた。この日のもう一人のメンバーであるAntonie Gaziaだ。
彼はJulioの甥っ子にあたる人物だ。
みんな血がつながった、まさにGitano Familyだ。
もっと重要なステージに出演する日はCanut AmadorやMario Reyes、Joseph Goutierなどの凄腕ミュージシャンも参加するのだが、この日はこのメンバー4人だけだった。
車で再び出発し、またすぐに停まった。
そこはただのファーストフード店だった。ここで演奏するのか、とJulioに聞いたら「ジプシー料理を食べに来た」との返答。
実際はハンバーガーとかフライドポテトとかを食べて腹ごしらえのために寄っただけだった。
「仕事」の日はファーストフードさえもジプシー料理となる。
再び出発。
今度は長い道のりだった。行く先は先日遠足にでかけたサロン・ド・プロヴァンスの近くかもしれない。
しかし良くわからない。運転するJulioも良くわからない様子で何度も道を間違えていた。
道端のカフェで休憩するなどして、やっと目的地に到着したようだった。
そこは、この前も書いたが、いわゆるホリデーリゾート。休暇を楽しんでいる利用客ために夜な夜な開かれるパーティーで演奏をするという。
施設の中に入り、駐車場に車を停めて建物のほうに歩いていく。
すると、リラックスしてそれぞれの余暇を楽しんでいる老若男女の姿が目に映った。
陽もそろそろ暮れてきて、地平線のかなたに見える夕日が人々を照らし、涼しくなってきた宵の口の雰囲気を思う存分満喫しているようだった。
さて、そんな客を横目にGitano Familyは適当な椅子に腰掛け、ギターなどを取り出す。
別に演奏前だからといって気が張っている様子もなく、家でおしゃべりしているのと同じような状況だ。
やがて、パーティーの支配人らしき者が現れ、会場へ導いてくれた。
お客さんはちょうどディナーの最中で、10くらいのテーブルにそれぞれ10人くらい腰掛けて、優雅なひと時を過ごしていた。
それほど広くない部屋で、パーティールームという感じではなかった。
そこへおもむろにGitano Familyの4人が乱入。何の前触れもなく演奏スタート。午後7時くらいだったろうか。
Julio、Jr.、Antonieがギターを弾き、歌い、Marjoryが踊りで花を添える。いつもながらの彼らのスタイルだ。
■ムービー
演奏が始まると食事をしていた客も手を休め、「お、何か始まったぞ!」という感じで4人に注目。
CDなどで聞き覚えのある彼らのオリジナル曲やジプシーキングスのおなじみの曲などを次々演奏。各テーブルを周って演奏していき、徐々に会場の温度を上げていく。
ディナー客ではない子供達もどこからか集まってきて、曲に合わせて飛んだり跳ねたりしていた。子供の行動は万国共通だ。
演奏しているのは3人だけなのだが、とにかくパワーが違う。
JulioとAntonieが主にリードボーカルをやるのだが、基本的に3人ともメロディーをハモったり、掛け声をかけたりして常に声を出し、休むことなく、メドレーで曲を続けていく。
ギターの弾き方も小細工なしの一番音が出る奏法で弾きまくる。否、叩きまくる。
小細工なしと言えば、カポタストを使わないということか。
通常曲の音程にあわせてカポをギターフレットにセットするのだが、そんな面倒なことをやっている場合では無い様子だった。
どんな曲もノーカポで、明るい曲ならキーはE、渋い曲ならEm。これだけだ。
この強引さというか無理矢理な演奏の仕方が彼らにとっては一番効率のいいスタイルなのだ。
とにかく、会場のボルテージを決して下げさせない勢いがあった。
たとえばGipsy Grooveの場合、通常は曲を終えたら演奏がストップするが、Gitano Familyのスタイルだと演奏が止まらない。
曲が終わったとしてもすぐに別の曲をメンバーの誰かが歌い始め、その波に他のメンバーも乗ってくる。
明るい曲も渋い曲も無理矢理メドレーで演奏する。曲の途中でも突然別の曲に変わったりもする。当然、どの曲もアップテンポでダンサブルな曲ばかりだ。
しかしメリハリをつけるため、不意に曲をストップすることもある。
ここらへんの進行の仕方がエンターティナーであるJulioの非常に上手いところなのだが、例えば、客の中でちょっとキャラの濃い人を見つけたら、その人を「主人公」に仕立てあげてしまう。
Julioは自分のギターをその客に持たせ、まずお手本の歌を歌い、その歌を客に歌わせる。
その様子を見た他の客達は大笑い。一気に会場の一体感が増し、ボルテージもうなぎのぼりだ。
■ムービー
また、ジプシールンバの曲ばかりでなく、例えばブルージーな曲をいきなり始めたりもする。
いきなり曲のテンポを緩め、「ブルース・ノート」でギターを奏でる。
するとそういうのが好きな客もいるのだろう。おとなしかった客もこれを機会にぶっちぎれたりする。
こういう柔軟な演奏スタイルはかなり見習うべきところがあった。
食事を終えた客は次々に踊りだし、ついにはテーブルの上に乗っかってアゲアゲのディスコ状態。
これほどまでに客の心をつかんで盛り上げさせるとは、さすがだと思った。
■ムービー
続く
投稿者 gipsygroove : 23:35 | コメント (1) | トラックバック
2005年06月20日
アルルとサント・マリー・ド・ラ・メールへの旅(その9)
5月27日(金)
この日も特に予定を立ててなく、どうしようかと思ったが、アルルの近郊の町にでも行ってみるかと思い立った。
ガイドブックを見ると、アルルの近くにいくつか町や村が散在している。
そのうちの一つ、「レ・ボー・ド・プロヴァンス」に行こうと思った。
バスターミナルでバスの到着時間を確認して待っていた。
すると予定より早くバスがやって来た。
で、運転手に「レ・ボーは行くか?」と聞いたところ、「行かない。サロン・ド・プロヴァンス行きだ。」と答えてくれた。
おそらく違うバスなのだなと思いつつも、まあ似たようなものだろう思ってバスに乗り込んだ。
しかし目的地は実際全然別の場所だった。
バスがアルルの街を抜け、やがて郊外に出るとあっというまに雄大な平原風景が広がっていく。
プロヴァンス特有の美しい緑のある景色は眺めていていつまでも飽きない。
途中で通り過ぎる小さな村というか集落は、どこもこじんまりとしていかにも「ヨーロッパの片田舎」という空気を発しており、味が出まくりだ。
遠くの方には小高い山々が連なり、青空を背景にしてなだらかな稜線が陽に照らされていた。
どこを切り取っても絵になりそうな勢いだ。
人数が多ければレンタカーでも借りて、好きな場所で止まりながら旅が出来るだろうな、と想像した。
やがてバスはサロン・ド・プロヴァンスに到着。
そしてまたもや自分がどこにいるのか分からなくなったが、感を働かせて適当に歩いてみる。
するとどうやら観光化された街の中心地へたどり着いたようだった。
サロン・ド・プロヴァンスは預言者ノストラダムスが晩年を過ごした町として知られており、彼の旧家を改装した蝋人形博物館も開かれている。ただ、別にノストラダムスには興味なかったので他の幾つかの博物館や資料館を覗いてみた。
そのうちの一つ、お城を改造して作られた「武器博物館」というところはなかなか見ごたえがあった。
中世から第一次世界大戦の頃までに戦争などで使われた槍や剣や銃などの武器がこれでもかと言わんばかりに展示されてあり、妙にリアルな蝋人形も場面ごとに配置され、当時の様子が事細かに再現されていた。
武器マニアが見たら喜びそうな博物館だったが、自分は別に武器に興味があるわけではなかったので、足早に見て周った。
中は昔のお城らしく迷路のように入り組んでいて、薄暗く、どこか血生臭い。たぶん鉄器に囲まれているのでその臭いだと思うのだが、かなり不気味だった。しかも見学している人がほとんどいなくて、まるで一人でお化け屋敷に迷い込んだかのうようだった。
サロンを訪れたら寄ってみる価値のある博物館だ。
その後も町をぶらつき、異国の街の昼下がりをのんびりと堪能した。
アルルとは少し違うが、この街も情緒溢れる雰囲気を発散しており、自分がこんな場所にいるのかと考えると思わずにんまりとしてしまう。
ランチは街中のレストランで。
メニューに困ったら「プラ・ドゥ・ジュール」と言えばその日の日替わりランチ定食を出してくれる。
なんだかよく分からんが、うまいグラタンのような料理が出され、おいしく頂いた。
カフェは通り沿いにある「コケの広場」で。
コケで出来た噴水があるからそう呼ばれているのだが、マイナスイオンが辺りを包み込んでおり、とても気持ちのいい場所だった。
バスに乗り遅れたら大変なので、早めにバス停に行き、アルルへ帰還。
ちょっとした遠足気分を味わえた一日だった。
続く
投稿者 gipsygroove : 23:58 | コメント (0) | トラックバック
2005年06月17日
アルルとサント・マリー・ド・ラ・メールへの旅(その8)
5月26日(木)
日本を発つ前にある知り合いから現地のミュージシャンの連絡先を教えてもらっていた。そのミュージシャンとはGitano Familyというバンドのリーダー、Julio Romero氏だ。全く身寄りの無い異国の地ではほんの些細なツテでも頼りになる。
前日に早速携帯に電話をかけてみた。
彼も連絡が来ることは承知していたようで、話もスムーズに進んだ。幸いにもスペイン語でやりとりが出来たので問題なく約束を取り交わすことが出来た。
その約束とは、翌日午前10時にホテルまで迎えに来てくれるというものだった。
フランスの公衆電話は全てテレホンカード式。
そこらへんの売店に行って、面倒なので「テレホンカード下さい。」と普通に日本語で言ったら問題なく買うことが出来た。650円くらい。
どのくらいの時間通話できるのかは不明。
さて、当日朝、10時よりちょっと早めにホテルへ出ると、表のカフェでコーヒーを飲んでいるJulioの姿があった。
「遅れて来るだろうな」という根拠無き予想をいきなり覆され、不意を付かれた感じだったが、その時点で彼のきっちりした人柄を窺い知ることが出来た。
そのまま自分も椅子に腰掛けコーヒーを飲む。
軽く挨拶をしてスペイン語で会話。初対面だが初めて会った気がしないのは、彼らのホームページ(注意>音が鳴ります)を見たり、CDを聞いたりしていたからだろうか。妙な親近感があった。
フランス人限らず一般的に欧米の人たちは、日本で言う「愛想笑い」というものをしない。
だから最初は怒っているのかと疑ってしまうが、そんなことはない。
日本人はとりわけ相手の気持ちを思いやりながら会話するので、自然と愛想よく振舞ってしまう傾向にあるが、それは結構疲れることなんじゃないか、と感じた。
機会があれば彼らの演奏する場所に行ってみたいと考えていたが、この日は特に演奏の予定は入っていないらしく、一日中フリーだということだ。
しかし帰国の前日夜に「フィエスタで演奏するので来るか?」と誘われ、もちろんOKだと答えた。
ということで、この日はJulioにくっついて一日のんびりする日となった。
まず始めに「ちょっといくつか仕事がある」というので付いて行った場所が、「MAEVA」と言うホリデービレッジ。
いわばプライベートリゾートのようなもので、お金持ち達が休暇をゆっくりすごすための保養施設だ。日本ではあまり見られないかもしれないが、ヨーロッパではこういった施設がたくさんあるという。
Gitano Familyもこういった場所での演奏は大きな仕事となるため、「重要なクライアントだ」とビジネスライクに話してくれた。
次回の演奏の契約をするために行ったらしいのだが、施設内にあるバーカウンターでジュースを飲みながら、相手先の担当者と談笑していただけだった。口約束も契約のうちか。そう感じた。
その後、車でアルルの町から少し離れた郊外に来た。
道端にある小さな商店で食料などを買って、どこに行くのかと思ったらJulioの自宅だった。
未舗装の道路を進み、草原の中にポツンとできた集落のような場所にその家はあった。
家の中はとても広々していて気持ちの良い空間だった。そこで奥さんのMarjoryや息子のJulio Jr.、Lucasなどと対面した。やはり愛想笑いなどはしないが、快くもてなしてくれた。
食事まで時間があったので息子達とギターなどを弾いて楽しんだ。
だいたい最初にギターの腕を見るのにPaco de Luciaの「二筋の川」をやらされる。自分はアドリブで弾いたが、息子達はたどたどしいながらも丁寧に旋律を弾いていた。どんな場所でもフラメンコギターを弾く者にとってはPacoは英雄なのだろう。
その他、「地中海の舞踏」や「広い川」などのさわり等を弾いて遊んだ。フランス語が出来なくてもギターで会話したようなものだ。
やがて食事の時間となり、庭の木漏れ日の下、優雅なランチタイムをすごした。
Julioは「このような静かな場所ではインスピレーションが湧く。音楽をする者にとってはこういう環境が大事だ。」と語っていたが、実際その通りだと思った。
風の音と虫の声しかしない平原を目の前に、心も静寂に包まれていく感じがした。
確かに都会はいろいろな意味で雑音が多すぎる。
食事の後、しばらくまたギターを弾いたりしてのんびりした後、またホテルまで送ってもらい、この日は別れた。
翌々日のフィエスタが楽しみだ。
続く
投稿者 gipsygroove : 17:15 | コメント (1) | トラックバック
2005年06月15日
アルルとサント・マリー・ド・ラ・メールへの旅(その7)
5月25日(水)
この日はゆったりとアルルの街を観光することにした。
朝、早めに起きて朝食を食べに外へ出る。
すると朝市の露店が道一面に展開していて見て歩くだけでも楽しかった。
八百屋、果物屋、花屋、香辛料屋、雑貨屋、民芸品屋など様々。果物を買おうとしたが全てキロ売りで、値段は安いのだが量が多すぎるため断念。他の露店でピザとサンドイッチを買って宿に戻って食べた。
朝食後、支度をして街歩き開始。
ガイドブックや地図を持ち歩くのはあまり好きではないので、行き当たりばったりで適当に歩いてみた。
アルルの名所と言えばローマ時代の円形闘技場がまず有名。街の真ん中にでーんと構えた歴史の産物は時を隔ててもなお建設当時の面影を残し、この場で行われた数々の血なまぐさい闘いが目に浮かぶようであった。
と、言いたいところだが、実際は補修工事で足場などが固められており、少々ムードが欠落ぎみだった。しかし場内に迷路のようにはびこる暗闇の通路や最上段から望むアルルの町並みなどは見ごたえがあった。
闘技場を後にしてまた適当に歩いてみる。
先日アルルに到着した時、予め場所をチェックしておいたのだが、行っておきたいCD屋さんがあった。そこはジタン・ミュージックや数々のジプシールンバの貴重なアルバムなどが多数販売されており、ネットショップを通じて世界的に常連客を持つお店でもある。
店主はカトリーヌさんといい、気さくで親切なおばちゃんだ。
以前にアルルに行った友人から写真を見せてもらっていたので、すぐカトリーヌさんに気づき、一言二言会話した。
せっかくなので何かCDを買っていこうと思った。このお店ではほとんど全てのCDを視聴させてくれるのがうれしい。
結局CDを数枚とジプシーやカマルグに関する写真集を数冊買ってしまった。日本にいるときだったらこんな衝動買いはしないのだが、ここでしか買えないだろうという気持ちがあり、迷わず購入。帰国後のクレジットカードの請求が恐ろしい。
カトリーヌさんのお店(Boutique Passiones)で買った写真集
■カマルグやサントマリーの祭りに関する写真集
![]()
■ジプシーキングスのアルバム「ROOTS」にちなんだ写真集。
幼い頃のNicolaやPatchaiの写真などが掲載されている。
一旦宿に戻り、荷物を置いてまた街歩き。
ネットカフェに寄ったりみやげ物やを冷やかし歩いた。
よくタイやインドを旅行している時、街中にたくさんネットカフェがあり、ほとんど全て日本語に対応していた。
そういう感覚でアルルの街でもネットができると考えていたが甘かった。ようやく見つけたネットカフェにはパソコンが数台置いてある程度で日本語は不可。キーボードもフランス語仕様でローマ字を書くことすら至難の業だ。
東南アジアなど、観光旅行者が多い発展途上国ではネットカフェを経営しても充分収入になるため幾つもカフェが軒を並べていたのだが、フランスでは割りに合わないのかもしれない。観光客にとってはいささか不便な話である。
ちなみに高級ホテルに泊まればインターネットも使える部屋があるらしい。
街を歩いていて、すばらしいなと思ったことがある。
とにかく自動車の歩行者優先が徹底していて、横断歩道が無い場所でも道を渡ろうとする歩行者がいたらちゃんと止まってくれる。
しかし逆に、街歩きで一つ気をつけなければいけないことがある。
犬糞という名のトラップだ。街中至る所それは仕掛けられている。
きれいな町並みを楽しみながら上を向いて歩いていると、不覚にも罠にはまったことが何度かあった。かなりの命中率だ。これじゃあ坂本九もびっくりだろう。
空気が乾燥しているので犬の糞を放っておいても自然乾燥で風化されるのを待つのみで、日本のようにわざわざ飼い主が始末するまでもないのかもしれない。
昼食はカフェがいくつか軒を連ねている広場で。
観光地のためか意外とどこも値段が高い。日本円に直すと安い食事でも1000円以上はしてしまう。まあ、せっかくフランスまで来たのだからケチることはないな、と思いつつも、安いピザなどを注文してしまう。
さて、この日はそんなこんなで夕方までゆったり街を歩き回っただけなので特筆すべきことは無し。
続く
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2005年06月13日
アルルとサント・マリー・ド・ラ・メールへの旅(その6)
5月24日(火)
寒さでほとんど眠れぬまま朝を迎えた。
ポツポツと人がやってきてバスを待っているようだった。
朝の7時前くらいにようやく一台のバスが来て乗り込もうとしたが、それは小学生のスクールバスだったようで、何か注意されて乗れなかった。
しかしその後にすぐ別のバスがやってきて、今度はちゃんと乗ることが出来た。
50分くらいかけてアルルへ戻り、宿の自分の部屋に戻って一眠り。
昼前に起きてシャワーを浴びたら気分も爽快。すぐに身支度を整え、再びサントマリーへGO!
改めてサントマリー着。バスを降りると夜の寒さがまったく信じられないくらい暑い!湿度が低いので実感が湧かなかったが、おそらく30度は超えていたと思う。
とりあえず腹が減っていたので街中に入り、適当な店に入ろうと思ったが、意外とどこもビックリ価格で腰が引けてしまった。別にケチるつもりはなかったのだが、裏路地にあった売店で30cmくらいもあるサンドイッチとココナツシェイクを買った。そして海の見える場所に腰を下ろして食らいついた。
この日、祭りのメインイベントでもあるマリア・サラ像を海に返す儀式が執り行われる。別に自分はクリスチャンでもなんでもないんだが、こういうお祭りごとは嫌いではない。
教会広場に戻ると儀式が始まるのを待っている人々でごったがえしていた。
まだ時間があるようなので、教会の上に登ってみることにした。脇っちょにある小さな入り口から中に入り、らせん状の階段をひたすら上っていった。人いきれが充満して、何かとても汗臭い階段だった。
しかしそんな陰気な通路を抜けるとスカッと晴れた青空が目に飛び込んできた。
屋上に出ると観光客が思い思いに写真をとったりはしゃいだりしてたが、そこから眺めるサントマリーの街の景色はとても感慨深いものがあった。
教会のスピーカーからちょうど哀愁のあるクラシック音楽が流れていて、その時の情景と見事にマッチしていた。景色を見てこれほど感動したのは久方ぶりだ。
昔黒柳徹子が司会をしていた「ベストテン」にジプシーキングスが衛星生中継で出演したことがあるらしいが、このサントマリーの教会の屋根の上で演奏していたらしい、と人づてに聞いた。
ムービー
■教会屋根の上からのパノラマ映像
しばらくして広場に下り、儀式が始まるのを待った。
すると昨日一緒に演奏した顔の濃いジプシーのおっさんたちがまた現れ、「演奏あっちでやるぞ」と、当たり前のように誘ってきた。彼らにとっては毎年やっている儀式を見るより、この稼ぎ時にたんまり稼いでやろうという気持ちの方が勝っているのは明らかだ。
自分としてはせっかくなのでこの儀式が見てみたかったので、「あとで行くよ」と適当に返事してその場を離れた。
しかし待てども一向になにも始まらない。
別に教会の前で待つ必要も無く、最後は海まで行くんだから、今のうちに海辺に行っておいた方がよさそうだと判断し、人ごみを縫って海辺の道路へ移動した。
軽く熱射病的な気分になったので闘牛場の前の木陰にペタンと腰を下ろし、コーラでも飲んでいた。
すると通りかかった少年に声をかけられ、ギターを貸してくれと言われた。
別に悪気はなさそうなのでケースから出して貸してやると、意外と上手にジプシールンバを弾いてみせたので面白かった。今風のティーンエイジャーがサラリとルンバを弾いてしまうところがニクイ。
一緒にいたおばちゃんがたどたどしいスペイン語で「これのために来たのか?」と親指と人差し指で輪っかを作ってみせた。
たぶん金を稼ぎに来たのか?ということなのだろうが、「フィエスタを見に来た」と返事をしたら妙に納得してくれ、またわいわい騒ぎながら仲間内で去って行った。
ジプシーの子供達は小さい頃からギターの音色やフラメンコの歌声に囲まれて成長する。
日本人にとってはなんともうらやましい環境だが、彼らにとっては演奏することが生活の一部であり、食べていくための一つの手段に過ぎないのかもしれない。
ムービー
■ギターを弾く少年
さて、体力も回復したところで「マリア・サラ像入水の儀」の最終ポイントである海岸へ出てみた。いつもは閑散としている砂浜がこの時ばかりは驚異的な人口密度で、見渡す限り人だらけだった。
しばらくするとカウボーイよろしく馬にまたがった男達が現れ、続いてマリア・サラ像と思われる物体を担いだ人々が現れ、信仰心の厚い人々が後について行進していた。ギターを弾いていた人たちもいたが、どうも宗教色が強く、それほど心躍るものではなかった。
あくまでも宗教上の祭りであるため、びっくりするようなアトラクションがあるわけではなく、厳かに、そしてどこか物悲しさを漂わせながらマリア・サラは海へ帰っていった。
ムービー
■マリア・サラの後に行進する人々
一通り儀式が終わると人々はそれぞれ街へ戻っていき、自分もその流れに乗る。
とりあえずどうしようか迷ったら教会の広場に行くという習慣がついてしまった。そこでギターを持って立っていれば何かが起こるものだ。
案の定、ある一人のギタリストが声をかけてきた。
「ギター弾けるか?あそこで一緒にやろう。」
「OK!Vamos」
という簡単なやりとりで、広場の端っこに腰を下ろしてギターを取り出し、簡単なコードの流れを繰り返していた。
別にその時歌っていたわけではなかったのだが、えさに群がるハトのように周りにいた人々が集まってきて、あっという間に人だかりができてしまった。
二人でギターを鳴らしていただけなのにこの有様だ。人々はとにかく貪欲なまでにFiestaを楽しまないともったいない、という気持ちがあるようだ。
二人で歌い始めると更に人が集まってきた。途中で、昨日ジプシースウィングで太鼓を叩いていたおっちゃんが加わってリズムを強調し、もっと盛り上がってきた。
そしてドラム缶のようなおばちゃんが突然調子外れに歌いだし、それを見かねた別のミュージシャンがやってきて、相方のギターを奪っておもむろに歌いだした。見ていた人たちはパルマを叩いたり踊ったりして、大騒ぎ。
そしてみんなやりたいことを終えると三々五々散っていった。なんだかあっという間の出来事だったがかなり楽しかった。
基本的に一人行動だったため写真などが撮れずに残念だったが、記憶のうちにとどめて置こう。
ムービー
■教会広場で盛り上がる人々
前日の二の舞にならないよう、早めにバス停に行きアルルへのバスに乗車。この日はゆっくり休むことが出来た。
続く
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2005年06月10日
アルルとサント・マリー・ド・ラ・メールへの旅(その5)
演奏の途中だったがその場を離れて、昼飯でも食べに行くことにした。
そういえばニームを朝早く出て、まだ何も食べていない事に気づいた。いや、正確に言うとフランスに来てから食事をとっていなかった。
空腹を忘れる程サントマリーの街は刺激的だった。
適当な店に入ってパスタでも食べる。
料理を運んできてくれた人が「ボナペチ!」と言ってくれるのがうれしい。
「ごゆっくりとどうぞ」くらいの意味だろうか。
料理はそれほどうまくなかった。
さて、その後も街をうろつき、いろいろな演奏を見て周った。
別のグループが数人でかなりクオリティーの高い演奏をしているのが目にとまった。
歌もうまいし、ギターテクもすごい。
しばらくじーっと見ていたら、演奏が終わり人だかりも解消された。
するとその演奏者からスペイン語で声をかけられた。
「ギター弾くの?よかったらこれからファミリーでフィエスタやるので来ないか?」と誘われた。
別に断る理由も無かったのでOKして後に付いていった。
カマルグに住むジプシー一家で、ファミリー総出でお祭りに来ていたようだ。
名前はPatrac Sergeと言って、やはり音楽で生計を立てているらしい。
そのファミリーらしき団体で歩いている時、「あれは自分の兄で、あれはいとこの娘で・・・」といろいろ家族親戚の紹介をしてくれた。
極めて紳士的な対応で直感的に、悪気は無く本当に好意で誘ってくれたんだなと思った。
しばらく歩くとある広場に出た。
そこにはものすごい数のキャンピングカーが無造作に駐車してあり、それぞれのファミリーが「家」を設置していた。
まるで迷路のように入り組んだキャンパーの間を縫って、ようやくSergeたちの本拠地にたどり着いたようだった。
なんだかよく分からず椅子に座らされ、コップにきついアニス酒を注がれて、「飲め飲め」といきなり言われた。ちびちびやっていると「フィエスタなんだからもっとガンガン飲み干せ」と言われた。無茶言うよ。
車の中からまるで冷蔵庫や茶箪笥のような体格のおばさんたちが出てきて料理を用意してくれた。どうしたらそのような体格になるのか不思議だったが、ジプシー女性のたくましさをビジュアル的に垣間見た気がした。
またどこからともなく別のファミリーが現れ、横綱曙似のおばさんがいた。
Sergeに聞くと、親戚や親しい友人を呼んだんだ、と。
みんな親切で、いきなりの来客にも家族同然のもてなしというか扱いをしてくれた。
Sergeからは自らのグループが出しているCDを頂いた。
一通り食事を済ませると、Sergeとその兄貴がギターを出し、釣られて自分もギターを出し、なんとなく演奏が始まった。
ジプシーキングスの曲や聴いたこと無い曲を演奏したが、だいたいギターのコードが分かるので楽しくプレイできた。
途中で何人かが演奏に加わり、歌もみんなで歌ったりした。
しかし本場の歌声は違うな!ギターを弾きながら聞きほれてしまった。
演奏が終わるとまた親指を立て「ユー!ベリーグーよ!」とはやし立てられたりして面白かった。
その後も酒を飲んだりしながらフィエスタを楽しんだ。
気づくとあたりはもう真っ暗。
テントの下では暗闇の中フラメンコの音色が聞こえた。隣の人の顔がはっきり見えないくらい暗いのに昼間と同じように普通にしていた。明かりをつければいいのにと思ったが、あるのは弱々しい小さなランプが一つだけ。ジプシーはエコロジーで地球にやさしい。
SergeからもらったCD 「Karra White」というバンドで、帰国した後に聞いてみたがかなりクオリティーの高いアルバムだと思った。 こういう優れたミュージシャンがまだまだこのカマルグという地域にはたくさんいると改めて感じた。
「アミーゴ、今日は泊まって行ってもいいぞ」と言われたが、もうちょっと街中を見たいと言う気分もあったし、ちょっとバテ気味だったのでアルルに帰って明日また来ようとも思った。
Sergeたちには「また明日会おう!」と告げてその場を後にした。
キャラバンの迷路を抜けてまた街に出た。
もうすっかり日も暮れ、だいぶ静けさを取り戻したようだった。
ふと気になってアルルへのバス乗り場へ行ってみた。
なんの根拠も無いが、なんとなく遅くまで走っているだろうと思っていた。が、実際は甘くなかった。最終バスは午後7時。時計は既に9時を回っている。
どうしよう、アルルに戻れなくなってしまった。
しばらく途方に暮れたが、とりあえずもう少しジプシーの演奏を見てから考えようと教会の方に歩いていった。
暗くなってからも教会広場では幾つかのグループが演奏しており、その周りにはものすごい人だかりが出来ていた。
スイングジャズのバンドがアンプを使って派手にやっていた。
熟年ヨーロピアンカップルが楽しそうに踊っていた。
ジプシースイングジャズ(マヌーシュ・スイング)と言えばジャンゴ・ラインハルトだが、彼に憧れるあるギタリストが主人公の「ギター弾きの恋」とか言う映画を思い出した。 また、ジプシー映画を数多く製作したトニーガトリフの作品「僕のスウィング」も、まさしくこのような音楽が題材となっている。
ムービー
■スイングジャズにあわせて踊る老夫婦
一方、50メートルほど離れた場所でジプシールンバのパフォーマンスが行われていた。こちらは生歌・生ギターだが、人だかりと熱気がすごかった。
見ている人は何とか輪の中に入ろうと、パルマを叩いたり盛んにハレオをかけたりしていた。
ルンバだけではなく、ブレリアやセビジャーナスなどフラメンコも奏でられ、黒髪の美しい女性が華麗な舞を見せていた。
歌い手もパワフルで周りの空気を震わせていた。
ギターは歓声に包まれて聞こえづらかったが、全体的にはアンプをつないでいるスイングジャズより遥かに盛り上がっていた。
ムービー
■闇夜のフィエスタ
さて、この後どうしようか。
街は既に眠ってしまったかのように静まり返っていた。
先ほどのジプシーのキャンパーに泊めてもらおうと考え、キャラバン広場に行ってみたが、こちらも既に暗闇が支配しており、どこに彼らの「家」があるのか全く分からなくなってしまった。
旅は時にタイミングがモノを言う。
いい意味でも悪い意味でも。
今夜はかなりタイミングが悪い。
仕方なく、バス停の屋根の下で一夜を明かすことにした。
地中海性気候地域では昼暑くなった分、夜はかなり冷える。上着を持ってこなかったら凍え死んでしまったかもしれない。
いろいろ野宿は経験したことあるが、今回のは結構大変だった。
浮かれすぎてビデオカメラ盗られるはバスは乗り損ねるは、ひどい目にあったが、Manitasやその他、ジプシーミュージシャンとの出会い、ともに演奏した喜びを味わうことが出来たことは、かけがえの無いことだ。
続く
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2005年06月09日
アルルとサント・マリー・ド・ラ・メールへの旅(その4)
Manitasとの衝撃的な出会いで頭がボーっとしてしまったが、気を取り直して街の中心地にある教会のほうへ歩いてみた。
各地からのジプシー軍団や訪れた観光客達でそこいらじゅう人が溢れかえっていた。
そしてあちらこちらでジプシーミュージシャンによる演奏が行われていた。
ジプシールンバはもちろん、ジプシースイングジャズやハンガリーの凄腕ジプシー楽団など様々だが、どれも周りには人だかりが出来てそれぞれ盛り上がりを見せていた。
簡単なムービーをご覧頂けます。
■カフェでギターを弾くジプシー
■ジプシースイングジャズ風
■ジプシールンバで踊る少女たち(風の音がうるさい)
■何気なく華麗に踊る少女
「楽しいなあ」と思いながら歩いていると「ヘイ!ジャポネ!」と声が聞こえた。
何だ?と思って声のする方を見るとカフェのテラスでギターを持ったおっさんが手で「こっちへ来い」と合図している。
他にもたくさんの客が座っていて自分の方を見るので何かと思ったが、このジプシーのおっさんが一人でギターを弾いて歌っているので、ギターを一緒に弾いてほしいということだった。
このように、ギターを担いで歩いていると声をかけられることがこの先何度もあった。
Manitasからサインをもらったギターを出すと、みんなにっこりして何か声をかけてくれた。まあ、とりあえずジプシールンバだったら何でもやれるよ、とそのおっさんに伝えて、早速演奏。
一曲やると客の何人かが親指を立てて「ユー、ベリーグー!」とか何とか言ってくれた。調子に乗ってそのまま演奏を楽しむ。
途中でやたら歌のうまい欧米風の女性が現れて一緒に歌ったりした。何者なんだこの女は、と思ったが、その女性にしてみても自分はそういう風に見られていたかもしれない。
しばらくして誰かが合図すると、みんな席を立ち上がった。
何だ、もう終わりか。と残念に思っていたら、どうやら別の店に移るということだった。
店から店へ演奏して練り歩く。まさにジプシーの音楽家が昔からやってきた「流し」のやり方だ。
Jose Reyesとその息子達も世に出る前にこの町でこういう演奏をしていたんだろうなあと感慨深くなってしまった。
Jose ReyesとはGipsy Kingsの主要メンバー達の父親で、Gipsy Kingsとして有名になる前に親子でバンドを組み、地道な活動を繰り返していた。 素朴だが力強く、味わいのある歌声には誰もが魅了された。 Manitas de Plataと並ぶジプシールンバの父と称しても過言ではない。
さて、次の店に移ってからも同じように演奏をはじめ、すぐに人だかりが出来た。
演奏者の特典としてビールなどがタダで飲めるのもうれしい。
しばらくすると別のミュージシャンも2人現れてギターで加わった。
ヤングなファッションの若者だったが、スペイン語もちょっと話すので声をかけてみると、イタリアでジプシーキングスのカバーバンドをやっているという。自身もヒターノ(ジプシー)で、この祭りには演奏して金を稼ぐために来たらしい。
ギターや歌はめちゃくちゃうまいというほどではなかったが、ジプシーキングスの歌をいろいろ歌っていた。
一息ついて、また別の店へ移動。
ところで先からやたら親切なジプシー小僧が一緒についてきている。
片言の英語でいろいろ説明しようしたり、ギターを弾いて「自分はあんまり弾けないんだよ」とお茶目に振舞ったり、何だ、変わったやつもいるなあ、と思っていた。
次のカフェに腰を下ろして、同じようにギターを出して演奏を始めた。
またしても別のミュージシャンが加わっていたり、観光客でカンツォーネを歌うおっさんが加わってボラーレを優雅に歌ったりしていた。例によってあっという間に人だかりが出来て、大騒ぎ。
しかしひざの上に置いていた上着が邪魔でちょっと演奏しづらかった。
それを見た先のジプシー小僧が親切に「上着はここにかけておけば大丈夫」と言って椅子の背にかけてくれた。
その時は「なんだ、いいやつだなあ」とのん気に思っていたのだが、しばらくして、そいつの姿が見えなくなって、「ヤバイ!」と思ったときにはやられていた。
ジャケットのポケットに入れていたビデオカメラをまんまと盗まれた!
アホだった。やっちまった!
と思ったところで後の祭り。一気に気分もクールダウンしてしまった。
しかし今まであちこち旅行してこんな置き引きなんて一回も遭った事がないのに不覚だった。うっかりミスだ。油断大敵だ。
残念だが、あのビデオカメラとは縁がなかったんだと思うようにした。
続く
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2005年06月08日
アルルとサント・マリー・ド・ラ・メールへの旅(その3)
ようやくサントマリーへ到着したのは午後1時過ぎ。
アルルと違って白いきれいな建物が並び、リゾート地のような雰囲気だ。
天気もよく晴れて暑くなってきた。しかし湿度が低いので汗はあまり出ない。
(ジャケットを着て来て失敗したと思ったが、これがあとで役に立つことになる。)
バスから降りて、これまたいきなり自分の現在地が分からなかったので、まずは適当に歩いてみることにした。
なんとなく町の中心的な方向は感でわかったのだが、せっかくなのでのんびり端っこのほうから攻めてみることにした。
噂どおり街中ジプシーのキャンピングカーだらけ、沼地のほとりではかなり生活感溢れる光景を見ることができた。
そのまま当てもなくゆらゆらとさ迷う。何かに吸い寄せられるように・・・。
ふとギターの音色と歌声が聞こえ、ふらりと入ったその店に、いきなり有名なミュージシャンがいた。
知る人ぞ知るムーニンやらバンボやらBaliardo家の凄腕ミュージシャンたちが群れを成して演奏を楽しんでいるではないか!
「運がよければ会えるかも」くらいに思っていたのに、いきなりお目にかかれて全く光栄だ。その演奏風景も迫力があり、思わずビデオ撮影した。
これはラッキーだと思って、その演奏をゆっくり楽しむべくテラスの椅子に座ってコーラでも注文した。
すると、なんと目の前にいたのはあのManitas de Plataその人だった!
分かりやすい例で言うと、両国国技館内をゆらゆらさ迷っていたら、いきなり九重親方(元横綱千代の富士)に出くわしたようなものだ。
もうかなりのご老体だが、まだまだ元気でいらっしゃる。
みなりもしっかりしていて他の人々とは何か違うオーラを発していた。
巨匠を突然目の前にして足がすくんでしまったが、これも何かの縁かな。
とにかく持参したギターにサインをもらうことにした。
万が一に備えて持ってきたマジックペンが役に立った。
Manitasに声をかけ、サインを求める。
すると彼はいきなりギターを奪い、チューニングを始めた。
そしておもむろにものすごいパッセージを奏で始めた。
CDなどで聞いたあの音色そのものだった。感動して涙が出そうになった。
サインも快く書いてくれ、一生の思い出になる出来事となった。
旅行前に使用していたチューニングメーターがギターに張り付いたままになっていたが、それを指差し、「これは何だ?」と尋ねてきたので答えてあげた。
すると手でジェスチャーし「こんなものは何の役にも立たない」と言っているようだった。
ジプシーにとって「音」は感じるもの。「音楽」は感じたものを表現したもの。
しかしそれは本来の「音楽のあり方」でもある。
様々な決め事に固められた現代の音楽とは対角線上にある考え方でもある。
一瞬の出会いだったが、Manitasはそれらのことを改めて気づかせてくれたのではないかと勝手に自分で心の中でつぶやいた。
Manitasはいわばジプシールンバの父でもある。彼の残した功績は華々しく、フラメンコ音楽とは一線を画す南フランスのジプシーミュージックシーンを世に広めた巨匠の一人だ。
世界的に有名になったジプシーキングスのメンバーの親戚でもある。 ムーニン(Jean Claude "Mounin" Vila)はManitasの弟 Hippolyte Baliardoの孫に当たる。その歌声は絶品。
バンボ(Raymond "Bambo" Baliardo)はムーニンの叔父。
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2005年06月07日
アルルとサント・マリー・ド・ラ・メールへの旅(その2)
5月23日(月)
朝早めに目覚めて、今日どうしようか考える。
とりあえず外に出て列車駅に隣接するバスターミナルへ行ってみる。
直接サントマリーへ行くバスがあるという情報があったので出発予告の掲示板を見たが、どれも見知らぬ地名ばかり。
駅のインフォーメーションの人に聞いてみるもさっぱり分からない。
しかたなくまた掲示板の方にトボトボ歩いていく。こういう途方にくれることが旅の間はよくある。しかし必ず解決の糸口が見つかる。そうやって模索していくのが旅の面白さでもある。
ふと掲示板を見ると「Arles」(アルル)の文字が表示されていた。
出発時間まであと15分くらいしかない。
おお、アルルへ行けばサントマリーへのバスの本数も多いだろう、と咄嗟に判断して即宿へ戻ってチェックアウト。荷物を抱えて急いでバスターミナルへ。
程なくしてやってきたバスに乗り込み、またしてもギリギリセーフ。
ガラガラにすいているバスに揺られてアルルまで移動した。
バスはどこか窓口で乗車券を購入するのだという勝手な固定概念があったが、実際はバスの運ちゃんに目的地を告げ、お金を払ったらその場でチケットを発券してくれた。 ニームからアルルまで5.9ユーロ。800円くらい。所要時間は1時間くらいだった気がした。
アルルへ降り立つと、いきなり自分がどこにいるのか分からなかった。
こういう時は感を働かせて歩くしかない。
なんとなく町の中心っぽい方を目指して歩いてみると、建物に囲まれた広場に出た。
日本にいるときに知り合いから借りた地図を見て、なんとなく見当がついたが、一応道行く人に尋ねてみた。
「ウジュスィ?」と地図を指差して聞くと、親切なご婦人はこれでもかと言わんばかりに丁寧に現在地を教えてくれた。
方向感覚がつかめたところで、アルルのバスターミナルへ向かうことにした。
午前10時くらいだったと思うけど、まだ店はほとんどどこも閉まっていて閑散としていた。しかしプロバンスの美しい町並みを眺めながら歩くだけでもワクワクしてしまった。
川っぺりに出て川沿いの道を進み、しばらく歩くとバスターミナルを発見した。
ところが人がほとんどいなくて、奇妙な静寂があった。
本当にここでいいのだろうかと思ったが、しばらくしてバスがやってきて人を降ろしてすぐに出発してしまうのを見て大丈夫だと確信。
廃墟のようになったターミナル・オフィスの窓に張り紙だけしてあった。
それは各地へのバス発着時刻表だったが、アルルからサントマリーへのバスは昼過ぎに出ることが判明した。このままこの場所でバスを待つのもいいが、まだ2時間くらい待たなくてはならない。
噂によるとサントマリーのホテルはお祭り期間中どこも満室で予約していないと入れないらしい。
そこでまた咄嗟の判断。宿はアルルに取ることに決めた。
サントマリーへはアルルから50分くらいのところなので、行き来するのもそんなに大変じゃないだろうと考えたためだ。
バスターミナルから適当に歩いて3分くらい。「HOTEL」という看板があったので中に入ってみた。英語を話す女性が出てきて難なくチェックインすることができた。
「祭り期間中はアルルの宿も大変込み合うので覚悟が必要」とか脅し文句がガイドブックに書いてあったが、それはチェックインした後に読んだためドキドキせずに済んだ。
アルルでの宿は「HOTEL VAN GOGH」ホテル・ヴァン・ゴッホ。 そう、アルルは画家ゴッホのゆかりの地であるため、ゴッホの名にちなんだ場所が数多く見られる。 このホテルは全体的に黄色を基調にしており、ゴッホが描いた「ひまわり」を思わせる粋な宿だった。 1泊36ユーロ。5000円くらい。シャワーのお湯が出ない日もあった。
昼過ぎ、ギターだけを持ってバスターミナルへ。ベルトにデジカメ装着、上着のポケットにビデオカメラを忍ばせておいた。(後々このことが悲劇を呼ぶ。)
時間通りにバスが来て乗り込む。祭り目当ての観光客ですぐに満員になった。
みんな欧米人ばかりで日本人らしき観光客は見当たらなかった。
アルル−サントマリーは4.9ユーロ。700円くらい。 バスの運転手は携帯でしょっちゅう電話していた。 運転中も余裕で電話していて、途中バスを停めて大声で長話を始めた。 乗客からブーイング。 日本ではまず考えられない光景だ。 中南米やスペインなどと同じラテンの国なんだな、フランスは、と感じた。
続く
投稿者 gipsygroove : 01:39 | コメント (0) | トラックバック
2005年06月06日
アルルとサント・マリー・ド・ラ・メールへの旅(その1)
Gipsy Grooveが演奏するジャンルはジプシールンバとかジタン・ミュージックとか呼ばれているが、その音楽の発祥の地とされるフランスの南部を旅してきた。
目的は毎年5月24日と25日に行われるサント・マリー・ド・ラ・メール(以下サントマリーと略)の巡礼祭を見に行くことだ。
※文章の途中で説明が必要なところはこのように枠でくくってあります。 本文だけ読みたい人は説明文は読み飛ばしてください。
5月22日(日)
このお祭りはサントマリーの街の教会に祭られている聖女サラ像を海へ返すという儀式がメインなのだが、褐色の肌を持つマリア・サラはとりわけジプシーたちの信仰の的でもある。 そんなわけでこのお祭りにあわせてフランス国内はもとよりスペインやイタリア、ハンガリーやルーマニアなどからもジプシーたちがキャンピングカーでキャラバンを成してこの地に集まってくる。 祭りの期間中は街中でジプシーたちの宴が繰り広げられ、あちらこちらで演奏が行われる。
「いつかは行きたいな」と考えていた憧れの地だったが、ある時、どうせ行くなら早いほうがいいと思い立ってすぐに旅の準備に取り掛かった。
準備と言ってもとりあえず飛行機の予約をしただけで、あとはほとんど何もしなかった。出発直前になってパリから南部へ下るTGV(フランス版新幹線)チケットをネットで予約しておいた。
飛行機は大韓航空。 一番安くて乗り継ぎのいい便があったため。 成田−ソウル−パリの往復で79,000円。それに税金やら何やらで9万円ちょっと。 行きはもちろん大韓航空の機体だったが、帰りは共同運行しているエールフランスの機体だった。ちなみに機内食やサービスなどは断然エールフランスの方が充実していた。
TGVの予約はフランスのWEBサイトから。 フランス語はチンプンカンプンだったが、なんとか予約できた。 しかし予約完了の画面もフランス語なのでちゃんと取れたのかどうか不明だったので、画面をプリントアウトして持っていくことにした。
前回のblogで書いたとおり前日から移動して、当日朝、成田を発った。
空の旅が13時間くらい。やっとパリへ到着した。
今回の旅はギター持参だったが、他の荷物も小さいバックパック一つで割りと軽装備。重いものと言えば小型ノートパソコン、ビデオ、デジカメ、変圧器くらいで、それらが無かったら着替え数着と洗面用具くらいで、ほとんどナップザック一つでも十分だった。下着やシャツは洗濯すればOK。旅は軽装に限る。
実はパリの空港で友達に会う約束をしていた。
その子は女性だが現在世界一周一人旅真っ最中、ちょうどこの頃ヨーロッパを旅しているということだったので、パリに着いたら会おうという約束をしていたのだ。
ただTGVの出発時間まで1時間半しかなかったのでちょっとお茶をする程度かなと考えていた。
ところが、入国審査を済ませた後の荷物の受け取りに1時間もかかってしまい、その友達ともほとんど15分ほどしか話すことができなかった。お茶どころではない。急いで空港内のTGV駅へダッシュし、なんとか乗車券をゲットしたものの、すぐにホームに移動してタイミングよく入線してきたTGVに駆け込み、友達とは映画のような別れ。
しかしなんとか間に合って良かった。
TGVの予約は無事成されていたようだ。 プリントアウトした紙を駅の窓口で提示し、予約した時のクレジットカードを渡したら即発券してくれた。
前述したとおりフランス語がさっぱり分からないのでチケットに書いてあることも理解不能だった。しばらく列車内をうろつき、乗客に尋ねつつ、ようやく自分の席に着くことができた。
疲れのためか直ぐに寝に入る。
ふと気づいたら目的地のニームに到着する寸前だった。
列車自体はマルセーユ行きだったので危うく寝過ごすところだった。
駅を降り立ったら既に夜の12時近く。
宿も予約してなかったのでどうしようかと思ったが、運よく駅前にホテルがあり、フロントの人は何か言っていたが、なんとかチェックインすることが出来た。
シャワーを浴びるなどしてすぐ就寝。
ニーム駅前ホテルは一泊42ユーロ。5500円くらい。部屋は狭くて薄暗かった。
続く