2005年02月26日

多摩センター・ふれあいコンサート

東京と神奈川の境にある新興都市・多摩センター。駅前には幾つかのデパートや百貨店が軒を連ねている。そのうちのひとつ、三越デパートの最上階・スカイラウンジが今回のライブの場所だった。
多摩センターは30年ほど前の高度経済成長のピーク時に作られた町だが、現在では住む人の割合も減ってきて全体的に高齢化が進んでいるという。なんとなく町に活気がない気がしたのはそのせいかもしれないが、何かイベントを催して人をひきつけるきっかけを作ろうと、毎月この三越デパートでコンサートなどが行われているという。
このイベントの主催者の方とは横浜でストリートライブをやっているときに知り合ったのが始まりで、今回の出演もとんとん拍子に予定が決まっていった。

この日の出演メンバーはLuis、Mario、Perry、Tino、そして病み上がりボーカルのKGだ。
会場はデパートの一般客が通る脇での演奏かと思っていたのだが、しっかりとしたステージと100席あまりの客席が設けられており、ちゃんとしたコンサートの体制がとられていた。
早めに来られるメンバーは早めに集まって機材などのセッティングおよびリハーサルを行った。
デパートの最上階にあるガラス張りのラウンジだったため、眺めは最高だったが、天気が悪く客足が途絶えるのではと心配していたが、いざ開場してみると次々とお客さんが入ってきて、ほっと一息。
しかし客層を見るとなぜか中高年以上、あるいはお年寄りばかり。このコンサートイベントは定期的に行われているため、常連の方もいるのだろう。ただ主催者の話によると、いつもはクラシックやジャズなどで、GGのようなジプシー系もしくはアコースティックギター系は初めての試みだという。

開演は午後5時。司会者の挨拶とともにステージで演奏開始。
最初の何曲かはお客さんもほぼ無反応で、対応に困ってしまったが、Marioが弾く鬼平犯科帳、もとい「Inspiration」で火がついたのか、それ以降の曲は暖かい雰囲気になってきて、演奏する側も気分よくできた。
MCはいつものようにKGが行った。病み上がりで本調子ではないんじゃないかと心配していたが、どっこい、いつも以上のノリで着実に会場の雰囲気を盛り上げていったのはさすがである。
「目指すは氷川きよしです」「ふれあいコンサートなので本当はじかに触れ合いたいのです」など客層を意識した冗談を交えて笑いもとることができた。
GGのお休みソング「Buenas Noches」ではお客さんにもパルマで参加してもらって、ちょっとしたカルチャー教室のような楽しさが味わえたのではないだろうか。
最後の曲のあと、アンコールの大合唱!それに応えて「Bamoboleo」でライブの幕を閉じた。
お客さんが帰るときも出口となるエスカレーター付近で生演奏を繰り広げた。「Baila me」という曲を演奏したのだが、そのサビの部分が「バイバイ…」と聞こえるのか、うまい具合に即席お見送りソングとなった。

なんとか無事ライブも終わって一安心。また機会があればやってみたいと思った。

投稿者 gg-luis : 23:34 | コメント (0) | トラックバック

2005年02月24日

いつもと違う Live at Pink Cow

今まで数多くのライブをこなしてきたGGだが、必ずリードボーカルはKGがとっていた。
それはバンドにおいて必然的な体制であり、誰も疑問に感じることはなかった。

しかし今回のライブはその体制を崩さざるを得ない結果となってしまった。

ライブ当日朝、KGからバンドメンバーへ「やばい」と言う表題のメールあり。
内容はインフルエンザに侵され咳が止まらずとても歌える状況ではないというものだった。
さらに菌が耳に回り、中耳炎まで併発しているという。
こんな状況でステージに立てるはずもない。
仮に無理矢理ステージに立ったとしてもライブハウス中にインフルエンザ菌をばら撒くことになり、
メンバーどころかお客さんまで病原菌が感染してしまう。
KGからLuisへ電話があったが、咳でゲホゲホやってほとんど何を言ってるのか聞き取れなかった。
こりゃだめだ〜!

そんなわけで趣向を変え、この日は初の試みとなる「Live without KG」で行うことに決めた。
予め決めてあったセットリストに変更を加えいざステージへ。

ライブ会場は…こんな日に限ってお客さんが多かった。
前回もたくさんの人に来ていただき、ものすごい盛り上がりだったが、今回も然り。
状況はどうあれ、これは生半可なライブでは許されないな、とただならぬ緊張感が沸いてきた。

ライブ開始はGGオリジナルの「Gipsy Road」から。
PacoのおぞましいイントロギターからボーカルはLuis。
いつものようにハモリのパートを歌うことに慣れていたLuisはいきなり音程を外してずっこけスタートを切った。
が、その後はなんとか持ち直し冷や汗もので一曲目終了。
2曲目はMarioが歌う「Un Amor」。
彼は高音を発するためいつもよりギターの音色を半音あげて演奏が繰り広げられた。
ギターやパーカッションもプロ級だが歌もなかなかのものだ。

3曲目はPacoのオリジナル「Flores en el Aire」。ベースはMarioが弾いた。
続いて4曲目以降もLuisがGGオリジナルを、MarioとPerryがジプシーキングスの曲を歌ったりして何とかパートをうまく振り分け、ライブを進めていった。
なにがつらいって、ギターを弾きつつ、歌も歌いつつ、曲の合間にはチューニングを直しながらMCまでしなくてはいけないというところか。全く気の休まる暇がない。
慣れぬことばかりでいつもの3倍ほどのエネルギーを使ったような気がした。

休憩を挟んで2部。
Pacoの弾く「Asturia」ジプシールンババージョンでスタート。音階と間合いを無視した恐るべきギタープレイに他のメンバーも必死に付いて行く。Pacoの狂いっぷりは健在だ。
2曲目以降も1部と同じように各メンバーが得意な曲でボーカルをとった。

本来、この日の参加メンバーは4人だけだったのだが、KG不在の緊急事態の報を受け、急遽DiegoとTinoが仕事帰りに駆けつけてくれた。
また、カホンの"Juan Delgado" 高橋さんも助っ人で参加してくれた。
困ったときに助け合う、まさにジプシー・ファミリーの真髄だ。

ライブの終わりの方になると緊張感が熱気へと変わり、いつものようにお客さんも乗ってきてスタンディング・ダンシングスタイルとなった。
突然奥の方から踊り狂う外人の方がステージ前へ。
その目が「曲を止めるな」と訴えかけているように感じ、実際最後の3曲はほとんどノンストップメドレーになってしまった。
そのエキゾチック・フォーリン・ウーマンの影響もあり、むずむずしていた人も次々に踊りだした。
このように雰囲気が和らいでくると演奏する側も心地よくなってくるものだ。

最後はアンコールを3曲ほども頂き、大盛況のままライブは幕を閉じた。
KG不在でメンバーそれぞれがいつも以上の力を発揮せざるを得ない状況になってしまったが、それは結果的にはプラス要素となった。今後のGGのライブ体制に変化が出てくるかもしれない。KGを中心とした4人ボーカル体制も夢じゃない。

投稿者 gg-luis : 23:37 | コメント (0) | トラックバック

2005年02月23日

実話はいつの世も最高の物語vol3(ジプキン来日を見逃す)

〜話の続き〜 (ジプキンに対する情熱が燃え上がり始めていた、私Kikoは、Marioのホームページを発見して、大きな衝撃を受けた。そして、機会を見つけては、Marioのホームページをチェックする日々を送り、他の情報をネットで収集するようになっていった。その頃、なんとジプキンが10年ぶりに日本にやってきたのだが・・・)

ちょうどその頃(ジプキン熱が燃え上がり始めた頃)、2000年にジプキンが10年ぶりの来日を果たした。チケットも既に購入し(確か東京国際フォーラムの前から10列目位だった気がする)、行く予定であったのに、当日仕事で大トラブル(クレーム処理)に巻き込まれ、結局行けなかったのは、今となっては良き思い出である。ジプキンのコンサート中の時間帯だった夜7時半頃、まだ仕事で車を運転していると(確か台東区の辺りを走っていた)、ラジオからジプキンの'Djobi Djoba'が流れてきた。畜生!なんてこったい!まったく泣けてくるぜ…。その後、会社の仲の良い先輩に声を掛け、憂さを晴らしに呑みに行って泥酔した…らしい。

せめてもの救いは、チケットを、たまたま勤務先が非常に近かった大学時代の友人に譲ったため、無駄にならずに済んだことか。相当楽しんでフィーバーしたらしい。実は私の母もジプキンのファンで、母のチケットも取っており、先に渡していたので、我が子の分もエンジョイしたらしい。このジプキンライブ初体験の夜、母は相当フィーバーしたようで、この後、半年間位は顔を会わせる度に「ジプキン最高!また来ないの!?」と言っていた。翌年のライブ(2001年)の時には、親子連れ立って(この時は父も)行った事は言うまでもない。しかし、この時もドタキャンの可能性が付きまとっていた。実は、初産の妻がいつ出産になってもおかしくなかったのである。また、見られないのではないかと、不安を感じながらも、無け無しの金をはたいて2回ジプキンを観に行った。当然、両親からは呆れられたし、妻からも呆れられた。だが、その来日公演から1週間程経って生まれた子ども(現在3歳半のTonino)は、ジプキンをこよなく愛しているから、良しとしよう。ただ、いつまで興味が続くかは分からないが…。
(〜続く〜)


(Kiko)

投稿者 gg-kiko : 17:42 | コメント (0) | トラックバック

2005年02月22日

惚れたぜ

この土、日でレコーディング作業がありました。かくいう私Kikoも、都合を付けて、何とか、土曜日に行ってきました。現在、GGでの演奏活動は、育児休暇中ということで見合わせていますが、色々と裏技を使ってスタジオに行ってきたのであります。実は、昨年よりレコーディングは既に進められていて、何度か日程を見つけては、作業を行なっているのですが、私は今回が初参加。新鮮でしたね。
レコーディングと言っても、そんじょそこいらのスタジオではなく、某メーカー(大企業)のスタジオ(工場やスタジオや研究施設が揃っている)で、一流のプロデューサー、エンジニアの方々によって、作業が進められているのです。勿論、「レコーディング〜CD製作」費用は、それなりにかかるのですが、この世界の相場から言ったら、ほとんどボランティアでやっていただいているようなもの。有り難い事に、プロデューサーの方が、Gipsy Grooveに惚れ込んでくれたことで、今のような状況になっている訳ですが、それと同時にGipsy Grooveも、プロデューサーの方の腕前に惚れ込みました。「惚れ合う」男同士(笑)の信頼関係で、良い物が出来上がることは間違いないですよ。Gipsy Grooveらしく、「ジプシールンバ」のエッセンスを沢山封じ込め、目の前で演奏しているかの如く、寿司のように新鮮かつ活きのいいアルバムに仕上げていきたいと思っています。完成したら、皆さん、是非聴いて下さい!!

(Kiko)

投稿者 gg-kiko : 12:25 | コメント (0) | トラックバック

2005年02月18日

実話はいつの世も最高の物語vol2(Exitなる人物)

前回、結成したての頃の話からと書きましたが、もう少し溯って書く事にしました。では、始まりぃ始まりぃ〜。

私Kikoは、2000年の春頃に、一つのホームページを発見して、衝撃を受けていた。Exitなる人物のホームページ。そう、Exitとは現在Gipsy Grooveのスーパーバイザーであり、元メンバーのギタリスト、マエストロMarioの別ハンドルネームである。

以前(1994年頃)からジプシーキングスには興味があったが、既に別の音楽ジャンルに傾倒していたことと、多少真似をしようとしてみて「これは彼らと同じ様に弾くのは無理っぽいな」と早々に諦めの境地に達していたことから、しばらくはリスナーとして楽しむ立場でいた。だが、1999年から2000年にかけて、自分の中のジプシーキングス熱が激しく再燃し始めていた。これは当時あるバンドで一緒に活動をしていた、Diego(Gipsy Grooveとは全く別のグループだがTinoとPerryもいた)の影響が大きい。彼のギタープレイは、自分が早々に諦めた、あの「ジプキンの音」を、かなりの純度で醸し出していたのだ。そのジプキン熱に突き動かされて、ジプシーキングスへ対する興味から、インターネットで検索したところ辿り着いたのが、Exitなる人物のホームページだったのだ。

当時、そのMarioのホームページで公開されていた音源ファイルを、ダウンロードしまくり(まだブロードバンドがごく一部の地域に限られていた時期、アナログ回線の為、とても時間が掛かった)、何度も何度も聞いた。当時の音源ファイルは、現在のMarioのホームページには残っていないが、そのファイルを今聞いても(CD-Rに焼いて取ってある)、やはり「オレ!マリオ!」な出来である。完璧。ジプキン本人達が弾いているとしか思えないジプシールンバギターストローク、ジプキンのTonino本人が弾いているのかと錯覚するインスト曲のリードプレイ。しかも、ストロークは4パターン程度に分けて、それぞれのパターンを弾き比べる(簡単な解説コメント付き)という研究ぶり。「凄い人がいるもんだ」と感心することしきり。日本人であることは間違いなさそうだったのと、頻繁にサイト更新されていたので、お気に入りへ追加して、かなりの頻度でチェックしていたのであった。そういう意味では、私Kikoは、Marioのかなりのオールドファンということになるのだろうか。
(次回へ続く)

(Kiko)

投稿者 gg-kiko : 12:04 | コメント (0) | トラックバック

2005年02月16日

実話はいつの世も最高の物語

Gipsy Grooveも結成されてから丸4年が経過し5年目に入りました。この年齢(現在、メンバー平均年齢32.6歳)になると、4年なんてあっという間なんですが、Gipsy Grooveの活動が本格し始めた頃に生まれた、私の長男Tonino(2001年生まれ)が、この春、いよいよ幼稚園に通い始めることを考えると、「おお、そんなに長い間一緒にやってるのか」と感慨深くなりますね。

Luisがライブレポートや出来事をこまめにまとめていってくれているので、バンドの活動・流れというものは、ちゃんと文章化されて、サイトに掲載されており、情報が共有化されています。が、立場変われば話も変わる、話には裏が必ずある、ってな訳で、私Kikoの立場から見たGipsy Grooveに関する小噺(そんな気の効いたものではありませんが)を、時系列順に、思い付くままちょこちょこ書いていこうと思うのであります。ただ、全ての出来事に言及していてはキリが無いので、ここが(自分にとっての)ターニングポイントだ、あるいは、重要だと思う所で、立ち止まって考えてみようと思っています。ま、何せ生来ズボラな性格なので、ちゃんと続くかどうか分かりませんが、不定期かつ継続的に投稿していこうと思うとります。で、ここはBlogですから、「おお、その時、俺はこう見ていた」とか「私はこう感じていた」というコメント、あるいは「私の場合はこうでした」という自らの体験談なぞ入れてくれると、Blogの機能もフル活用できるようになるかなと・・・。

内輪ウケ・内輪ネタにならぬよう、注意して書いていきますので、Gipsy Grooveをより良く知るエッセイのような感覚で、気楽にお読みください。

丸4年もやっていると、当然色々なことがある訳で、バンド内でも殴り合いの喧嘩の一つや二つ・・・した事ないんですね、これが。いや、私が知らないだけで、実はメンバー同士で紛争があったのかもしれませんが(笑)。私も自分が寝てる間に殴られたり、酔っ払って酩酊していた時に殴ったり殴られたりしたかもしれません(笑)。では、結成したての頃の話から・・・。(次回に続く)


(Kiko)

投稿者 gg-kiko : 17:36 | コメント (0) | トラックバック

2005年02月02日

言葉の響き

私がこよなく愛する音楽ジャンルにハードロック(Hard Rock)/ヘヴィメタル(Heavy Metal)がある。邦人(日本の)アーティストの絶対数が少ないので、必然的に洋楽中心となるのだが、実はこのジャンルのアルバムだけでウン百枚という数を持っていたりもする。具体的なアーティスト名を挙げると書ききれないが、Deep Purple、Rainbow、White Snake、Judas Priest、Ozzy Osbourne、Yngwei Malmsteen、Van Halen、MR.BIG、Dream Theaterなどなど。ハード&ラウドなサウンドに美しいメロディラインと素晴らしい曲構成。高校時代には特にのめり込んだ。敬愛するギタリストはYngwei MalmsteenとRandy Rhoads。ギターを手にしたのもこの(高校生)頃だ。

だが困ったことに、ここ日本ではこの音楽ジャンルは変な認知をされてしまっている。ずばり「ヘビメタ」という言葉である。この「ヘビメタ」からイメージするものは、どぎついカラーリングした髪をスプレーでギンギンに逆立て、妖怪のようなメイクをした若者達がプレイする、雑音かつ轟音の下劣な音楽、ではないだろうか。極めて不健康でキワモノノイメージ。困ったのもである。おそらく、X Japanが当初打ち出したイメージに倣った二番煎じのフォロワー達が、そうしたイメージを増幅・定着させてしまったのだろう。ヘヴィメタルという言葉を口にすると、「ああ、ヘビメタね」というコメントが返ってくることも多い。貴方がイメージしているヘビメタではなく、私が言いたいのはヘヴィメタルなのだ!と以前は修正を求めていたものだ。今はそんなことはいちいちしていないが。

同様に日本での誤った認識にブルーズとブルースがある。ブルーズ=ブルースだと、ジョー・リン・フッカー達がやっていた黒人音楽と淡谷のり子は同じである。違うんですよ。

で、ジプシールンバ。まだ言葉としては浸透していない、Gipsy Grooveの音楽性を指し示すこの言葉。誤った認識・広まり方をしないように知られていけばいいなと、風邪で最悪な体調を引きずって通勤電車に乗りながら考えておりました。(Kiko)

投稿者 gg-kiko : 12:23 | コメント (0) | トラックバック